あの舞台が私の中に残したもの

あの舞台が私の中に残したもの

アントネッロによる「マタイ受難曲」(チケット完売✨) のソロ合わせ開始。

今回も濱田先生のすんごいアイデアがモリモリで、何十回も歌ってるはずなのに、知らない曲のよう😆でね、先生が「批判されたら、僕に『やれ!』って言われたから、って言っていいです😆」っておっしゃったの。それでハッとしたことがあってね…。

先月、「ラ・マンチャの男」ファイナル公演を観たのだけど、時間が経てば経つほど、あの舞台が私の中に残したものがどんどん大きくなるのね。

これまでもいろんな舞台を観てきて、感動で涙が止まらなくなったり、腰が抜けて立ち上がれなくなったり、興奮冷めやらぬまま演者の楽屋へ突撃したことも多々あれど、こんなふうに観劇後、じわじわとその存在が大きくなることなんて初めてかも(読書ではよくある)。

正直言って、歌もセリフもちょっと聞き取りづらい瞬間があったんだけど、54年間、1300回以上ひとつの役と向き合ってきた重みだったり、厚みがすごくて、さらにはリアルな後期高齢者となった白鸚丈が演ずる「気のふれた老人」の凄みに圧倒されまくった。

で、この物語を寓話として捉えた時、私が得た教訓、というか、人生哲学みたいなものは、「人が何か新しいことに挑戦しようとすると、必ず逆風も吹く」ってこと。→ これが濱田先生の言葉と繋がった。

芸術に関わる者は特にそういうことに直面せざるを得ないけど、志を持って生きていれば、誰だって同じような経験をするんじゃないかな。

そんな時、想い姫を心に抱き、風車へひたすら突進してゆくドン・キホーテの生き様に背中を押されるんだよ。

演劇の世界では、洋の東西を問わず、古代から現代に至るまで、物狂いや狂人の役が様々なカタチで登場するけど、今回初めてその存在意義に納得したのかも。

長々と書いたくせに、自分の中にあるこのグルグルを的確に記せたとはとても思えない😅

いいんだ、言葉で説明しきれないから芸術の出番があるんだ。

たとえ傷つくとも
力ふり絞りて
我は歩み続けん
あの星の許へ

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